歴史

自動車の歴史 / 1880年〜1890年

■1880〜1890年代の歴史的事柄

1883年 鹿鳴館開館
1884年 清仏戦争勃発(〜85)
1894年 日清戦争はじまる
1896年 第1回オリンピック、アテネで開催
1904年 日露戦争はじまる
1902年 シベリア鉄道全通


■自動車が発明された年
ドイツでは、カール・ベンツが道路走行機械である三輪車を完成させた1885年の翌年、その三輪車の特許を申請した1886年とされている。フランスでは、ル・マンの街をフランス製の自動車が最初に走った1894 年とされている。ベンツが三輪車を完成させたのは1885年の秋だが、当時は4サイクルエンジンに関するニコラス・オットーの特許が有効で、特許侵害に当たったためとされている。

オットーの特許が無効になった後、ベンツが自動車に関する特許を申請した1886年が最初の年とされている説と、同年、ゴッドリープ・ダイムラーがガソリン4輪車を完成させているため、両人に花を持たせたという説もある。

■世界初の自動車レース
1894年7月22日、世界で最初の自動車レースとされる、パリ〜ルーアン・トライアルレースが開催された。このレースは、全126キロのコースを12時間以内で完走すると言うものだ。出走した車のパワーユニットは、「蒸気」または「ガソリン・エンジン」。1位は、プジョーとパナール。実際は、ド・ディオン蒸気トラクターが先頭でゴールインしたが、操縦に2名を要したため、2位と判定された。完走できなかった4台は、すべて「蒸気車」だった。

この結果、蒸気エンジンに対しガソリン・エンジンの優位が、人々に次第に認識されていくようになったという。ド・ディオン・ブートン社もこの時期、すでにガソリンエンジンの自動車を製作していた。

自転車タイヤ製造を経て、自動車の重量に耐えるタイヤ製造を試みていたフランスのミシュラン兄弟は1895年、パリ〜ボルドー間を往復する世界初のスピード・レースに参加。彼らのプジョー・ルクレールは、開発中のタイヤのテストを目的にしていたため、出走した22台中、唯一の空気入りタイヤを装備。22回もパンクし、修理を繰り返しながらのレースとなったが、リタイアと言う結果に終わった。

しかし1899年、ミシュランの空気タイヤ装着の電気自動車”ラ・ジャメ・コンタント(決して満足しない)”号が、時速100キロの記録を達成。1901年のレースではミシュランタイヤ装着車が優勝し、タイヤのミシュラン社の基礎が築かれたといわれている。

レースの国際化
一時期、自動車レースをパリ・レースと呼んだように、オート・レースはフランスで発達し、やがて国際化するようになった。

世界初の国際レースは、アメリカ”ニューヨーク・ヘラルド”紙の経営者、ジェームズ・ゴードン・ベネットの提案による、1900年開催”第1回ゴードン・ベネット杯レース”だ。運営には、1895年パリ〜ボルドー〜パリ・レースをきっかけに誕生したフランス自動車クラブ(ACF)があたった。このレースでは、これまでメーカー間の戦いとされてきた自動車レースが、ナショナル・カラー(フランス:青、イギリス:緑、ドイツ:白、アメリカ:赤、ベルギー:黄)を施したクルマによる国家の威信をかかげたレースへと変化を遂げ、各国の技術が競われ国威発揚が目指されるようになった。

■200キロの壁
20世紀に入ると、”200キロ突破”のスピード記録への挑戦がはじまった。ゴッドリープ・ダイムラーと並んで近代自動車の父と言われるカール・ベンツは、1908年のフランスGPでメルセデス(ダイムラー社)に続く2位に入った勢いそのままに、ベンツ社は排気量2万1504ccの直4型エンジンを搭載したブリッツェン(電光)ベンツを完成し時速 200キロの壁に挑戦する。

1909年イギリスのブルックランズのサーキットで202.691キロを記録し、史上初めて200キロの壁を破った。

次回は、1900年〜を予定。
※更新頻度は不定期です。

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